被虐待体験と自立への足跡・1.出生

公開開始:2025.03.31.
内容更新:2025.07.16.

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 誰しもそうであるように、自分がいかにしてこの世に生まれ出たかは全く記憶にない。その事に関しては、後に周囲や親などから聞いて知ることになる。そして私の場合、きょうだい達は自分達の都合の良いように捻じ曲げて話を作るので彼等の話は全く信用できず、信用できる方々の話や母の残したノート等を元にたどることになる。

2025.03.31.記述

 母と父は、熱烈な恋愛結婚だったらしい。ただし、伯父(母の兄)はその結婚には大反対だったという。「あなたのお父さんは『子どもは自由に育てる』と言うので、『崖っぷちから落ちそうになっていても”自由に”させるのか』と問い詰めたら返事しなかった」という話を、後に何度か伯父さんから聞かされた。(ちなみに、私は父親のいる家庭では常に監視されて『自由』を感じたことは一度もない。)そして、母が学校を中退して結婚すると言い出した時に、その伯父さんは母をご先祖様のお墓の前に座らせて卒業を約束させたのだという。(私も同級生に感化されて学校を中退しようとした時、その伯父さんに勉学を全うしろと怒られた。今、その事に感謝している。)そして母は学校を卒業して資格を取り、母方親族の目の届かない遠地で家庭を持ったのである。

 母は結婚当初は”夫”の教育思想にも賛同していたのかもしれない。父は母に、資格は捨てて専業主婦になることを約束させたと聞く。しかしいざ子ども(私の上のきょうだい)が生まれてみると現実は違っていて、「この人とはやっていけない」と判断したのではなかろうか。母は資格を活かして職に就くため20年のブランクを埋めるべく再度学校に通い始め、私の小さい頃の記憶にも母のいない時には家政婦さんが来ていたのを覚えている。
 これはかなり後になってから知ったことだが、専業主婦になる約束を破って出かける母を父は「外でほかの男と不倫している」と決めつけ、その結果生まれた子だと思い込んで息子(私)を虐める、一度思い込んだら決して考えを改めてくれない、と然るべき人に訴えたそうである。(訴えを聴いた人から直接聞いた。)
 なお、専業主婦になる約束は、両親離婚後父親に引き取られて育てられたきょうだい達の間では伯父(母の兄)と母の間でなされたものと話がすり替わっている。父親が吹き込んだか、きょうだい達が自分達の都合のいい話に作り替えたか。ご先祖様の墓前で卒業を命じる人が、そのような約束をさせるわけがない。今の時代でも、簡単に取れるような資格ではないのだ。伯父さんの息子さんに私のきょうだい達がこう言っていると知らせたら、「うちのオヤジがそんな約束させるわけない。」と笑って一蹴した。

 なお、伯父の話を聞いたのは高校生以降だったと思うし、母は亡くなるまでここに挙げるような話は一切私にはしなかった。母は息子の私には、父親に憎しみを抱くような話は一度もしなかったのである。後々に氏名変更の手続きのために家庭裁判所に行った時、待合室のテーブルに”離婚した相手の悪口を子には絶対聞かせてはならない”と書いてあったのを見て、母がそれをしっかり守ってくれたおかげで今の自分が社会で真っ当に生きれるようになったのだと思う。対して父親は引き取った私のきょうだい達に母と私を家庭を壊した張本人と教え込み、その結果きょうだい達は母や私も含めて人の人生を破壊してまでも自分達を正当化する人間になってしまった。何が間違っていたか、社会全体が考えていただきたい。
2025.03.31.記述
2025.04.07.修正
◆この時期に想う事
 夫婦の不和から家庭崩壊に至る話は、どの場所どの時代にも聞かれる。私の生まれた家庭もそうだった。おそらく母は”夫”の生活意識や教育方針に賛同できなかったのではあるまいか。(そう想像できるのは、私の知る両親の人に対する見方や接し方が全く異なるからである。)そしてそれに対して”No”と言った(行動した)ことで、夫婦の間がうまくいかなくなってしまったのかもしれない。
 では、母が我慢すれば、家庭の崩壊を防ぐことができただろうか。私にはそうは思えない。よほど我慢して防ぐことができたとして、子供達はどう育っただろうか。答えは、今の私のきょうだい達を見ればわかる。彼らは私や母の人生を、「お前は間違っている」と在りもしない作り話で因縁をつけて踏みつぶそうとした。他の親族にも同様のことをしていると自ら語り、隣人とのトラブルも自分が正しいかのように話す。
 私自身、両親離婚で地獄から解放された当時を思い起こしてみて、恐ろしいことだが当時の私は人を殺しても、なぜそれが「悪い」のか想像もできなかった。家庭は在っても子供がそうなってしまっては、家庭のあるべき姿とは言えないだろう。母はその事を考え、私を連れて離婚してくれたのだと思う。
 今、私は自分がそうであったように、どんな人間も自分の人生の上に立って、「自分の責任で」生きている。その人生を他人である私が、理解もせずに奪うことなどできるはずがないと考えている。そういう考え方のできる人間に育ててくれた母に、私は感謝している。
2025.07.16.記述

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