被虐待体験と自立への足跡・16.氏名変更(5) |
公開開始:2025.07.01. 内容更新:2025.10.16. 目次へ戻る |
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●母、とりあえず私が引受人となるホームに仮入所
2025.04.**.記述
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●母、きょうだい達が引受人となるホームへ移転させられる私は通称名で生活するため、携帯は母の名義であった。ただし、契約時の暗証番号は私の独自の番号を使っていた。しかし母がきょうだい達の管理下に置かれたことから、母名義の契約から切り替える必要が出てきた。携帯会社に問い合わせると、母の立ち合いと私の暗証番号が必要だという。いかに彼等が私を人扱いしないとしても、彼等に暗証番号を教えるわけにはいかない。不条理にも「父親に会って誤らないと母の介護には参加させない」などと言い出す連中である。暗証番号を教えろと言い出すことは容易に想像がつく。かと言ってそのまま使い続ければ、少なくとも通話相手の番号は丸見えになってしまう。
2025.10.14.記述
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●私への仕打ちの数々とにかく私の人生を踏み潰して、自分達が正しいと言いたかったのだろうか。(精神的に追い詰めて相手を混乱状態にしておいて自分達の思い通りに事を運ぶ、自分達の母親にも同じ事をしたのだろう。)私への手紙が、それまでは普段から通称名で来ていたのが、突然戸籍名宛てで届いた。私がこの土地では通称名でのみ生活をしていると知っていながらである。周囲に戸籍名を知らしめて、通称名で生きることをできなくするためである。私は「こんな人は居ません」と突っぱねた。すると今度は(通称名)方(戸籍名)宛てでよこすようになった。しかもきょうだい達からばかりでなく、ホームにいる母や伯父(母のお兄さん)からも、全て(通称名)方(戸籍名)宛てで来るようになった。きょうだい達の言い分は、「親が名付けた名前を捨てるのは親に対する裏切りだ。そういう人間に母の面倒を看る資格は無い」というものだった。母はホームで”書かされていた”のだろうが、伯父の方は不思議に思っていたので、伯父に会って聞いてみたら「(私は)逃げ回っていて住所不定になっているからこの宛名で出せ、と言われた。」という。伯父は他のきょうだい達も差別せずに母(自分の妹)の子として可愛がっていたところがあり、きょうだい達はそれを利用したのだという事が判った。伯父(母の親族)まで利用して私を苦しめる、それが奴らのやり方だと思い知った。伯父には「そんな事はない」と説明し宛名は元に戻してくれたが、この陰謀のショックは大きく、夜寝床に入って静寂が訪れると、母も受けたであろう陰謀に対する怒りで頭が一杯になり眠れなくなってしまった。それ以来、音楽や聞き飽きた番組などを耳元で流しながら眠りに着くようにしている。15年以上が経つが、その状態は変わっていない。
2025.10.14.記述
2025.10.15.修正 |
●氏名変更を扱う法律家を探し出し、依頼する。失望感から自殺未遂のような事に至ったことで、氏名のことについてはっきり決着を付けてしまおうと思った。そこで、以前ネットで見かけた、氏名変更を扱っているという東京の行政書士さんに連絡を取り、申し立ての準備に入った。通称名の永年使用の証拠物件は極力取ってあったので、年代別にそれらを整理。また、精神科医の診断書も揃えましょうということで、行政書士さん同席の条件で東京の病院の精神科に通った。以前、公開相談会で「自立できているじゃないか」と言った某学者とは違ってその病院の精神科の先生は丁寧に話を聞いてくれ、「長くかかるけれど、治す努力を続けましょう。」と言って薬を処方してくれた。
2025.10.15.記述
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●当方の弁護士が介入するも無視されるこれまでの経緯を簡単にではあるが母方の親族の一人に報告したところ、相談してみたらと知り合いの弁護士を紹介してくれた。家族会議の約束書を見せたが、私が母から長く離れていたことからひっくり返すのは無理だと言われ、諦めざるを得なかった。正式に介入するまでに多少の手違いもあり時間がかかってしまったが、最終的に「母の遺産の事について介入するので、以後この件についての連絡は当弁護士を通すように」と文書で、弁護士から相手に配達証明付きで送られた。しかしその後、弁護士を通じた連絡は一度もなく、全て直接連絡である。法の常識もあったものじゃない。(後に母の遺書開示の時に「何で弁護士なんか付けたんだ」と文句を言ってきた。自分達は”やり手”の弁護士が我々には付いてるんだぞと脅しをかけているくせに、フェアな対応で対抗できる相手じゃないと思った。)
2025.10.15.記述
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