被虐待体験と自立への足跡・17.現在

公開開始:2025.03.31.
内容更新:2025.07.16.

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●地区の民生委員を引き受ける
 民生委員になるには、地区の区長はじめ複数人の推薦が必要である。当時の区長から民生委員をやってほしいという話が私の所へ来た。民生委員は住民の秘密を扱う立場でもあり、地区の信頼がなければ依頼されるはずのない仕事だ。それが私の所に来たという事は、私がこの地区でそれだけ信頼されているという事でもある。私はその信頼を寄せていただいた皆さんにお答えするために、この仕事を受けることにした。
 受けた理由はもう一つある。私はこの地に住んで十数年になるが、正直言ってまだ住民の皆さんの半分の方は名前すら知らない状態だ。だから逆に、民生委員になることで住民の皆さん全員とのつながりを持つことができると考えた。それは正解だった。今では、小さい地区ではあるが全員の顔と名前は覚えたし、ほとんどの方とは会って話をしている。(会えないのは昼間働きに出ている一部の人と、住所があっても不在の人だけである。)
 実は、民生委員ののちに区長の依頼もきた。当地区の区長は行政区長と地区長を兼ねており、地区長はたとえば隣りとの境でトラブルが起こった時などの対処が必要になるだろうし、地区で新参者の自分では分からない事がほとんどであろうから、そちらは頑としてお断り申し上げた。(3人の推薦状を持って来られたけれど。)これも、氏名変更できなかったら間違いなく成しえなかった。
2025.04.03.記述
2025.04.09.修正
●地区サロン開催
 この地は、毎月のイベントで外からの人が多く訪れることもあって、比較的”開かれた”地域であった。ところがメインとなる食べ物を作る女性陣がみな年をとって(全員80歳超え)動ける人が少なくなり、さらにコロナで数年イベントが中止になったことで再開できなくなり、外との交流がほとんどなくなってしまった上に住民同士の協力や交流の場も少なくなってしまった。その影響もあってか、民生委員の私の耳に人の悪口が聞こえるようになってきた。

 そこで、住民同士の交流の場を作ること、なるべく外からも来てもらって「出会い」の場を作ること、私のパソコンを持ち込みネットにつないで外の情報に触れることを目的に、月1回サロンを開くことにした。2年半ほどになるが、主催者の私が直前にコロナにかかって中止になった1回を除いて欠かさず続けている。
2025.03.31.記述
●2つの大病
 1回目はハラキリだった。いえいえ、昔のハラキリは武士が家でするものだったけど、現代のハラキリはお医者さまが病院でするものなのですよ!病名は腎臓癌。ある夜、床の中で背中がとんでもなく痛くなり、布団の中を転げまわった。しばらくしておしっこがしたくなってトイレに行ったら、赤い尿が出た。そんな経験は今まで一度もなかったので心配になったが、尿が出ると同時に背中の痛みが消えたので様子を見ることにした。あとから考えれば、癌が腎臓の中で血管を破り赤血球が尿道入口で詰まって痛みを発し、尿を出したことで詰まりが取れて痛みが消えた、その代わり血尿が出た、ということなのだろう。(癌自体は痛みを発しない。)ところが次の日も血尿が出るので、自分の手に負えるものじゃないと判断して病院に駆け込んだ。

 その日は腹部エコーを撮って、片方の腎臓は正常に映るがもう片方がごちゃごちゃになっている。もしかして腸がかぶさっているだけかもしれないが、とりあえず精密検査をしましょうとCTを撮って帰った。そして1週間後、先生から画像を見せられながら「ここに腫瘍がありますよね。これは癌です。」とあっさり告げられた。こぶし大、直径7cm弱、第3期の一歩手前で、片方の腎臓はすっかり癌で潰れていた。自分では「は?」という感じで、ショックというより「へえ~、自分も癌になったんだ。」って思った。転移がないか追加で検査しましょうと再度CTを撮り、結果は9日後、親族かどなたか同伴で来てくださいと言われて帰った。癌は、私の伯母もそれで亡くなっており、見舞いに行った時に体の大きかった伯母が小さくなってしまっているのを見て「恐ろしい病気」というイメージがあったし、完治するものではない、転移すればまず助からない事は知っていた。

 自分の癌の大きさからみて転移は避けられまい、死に怯えるのはつまらないから、この9日間でやり残したことを誰かに受け継いでもらえるよう譲り先別に仕分けることに徹したのだった。そして当日、同伴者に「やり残したことを少しでもやりたいから、手術して退院して家で亡くなるまで作業できる日数と、手術しないで家で動ける日数と、長い方を選ぶ。」と宣言してから診察室に入った。先生から開口一番、「転移はありませんでした。」も~~~~、ほっとした~。これで生きれるんだ!!病巣を取れば助かる。先生の次の言葉を言う前に「取ってください」。

 先生も医者だから説明責任がある。一応、説明をしてくれた。放射線治療は腎臓癌には効かないので×、薬物療法が△、手術で腎臓片方摘出が◎。手術しましょう、で決定。その先生が手術して下さり、命を救っていただき本当に感謝です。

 考えてみると私が母の元に呼び戻されて7年、あれから昔の環境に引き戻されるのではないかという今までにないストレスが積み重なっていたことも事実で、確証はないけれどそれがこの病の原因の一つになっていたという気がする。ちなみに、血族の中に癌になった人がいるという話は聞いたことがない。手術から10年以上が経ち、転移発見のためのCT検査は年1回になった。

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 2つ目の大病は、心臓弁膜症。今から思えば5年前から息切れがあったから、その時点で逆流が始まっていたのだろう。僧帽弁を支えている中央の腱が1本切れてしまった。これは被虐待体験とは関係ないと思われるので詳しく述べないが、1回の手術では直しきれず、開胸手術を2回行なった。今は逆流はないがやはり心臓は弱ったらしく、若い人達との運動はついていけないところはある。頑張ってはいるのだが。

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 2つの大病で思うのは、もし自分の名の変更ができていなかったら、私は虐待を受けた時の名で呼ばれるのは耐えられないから入院手術を断り、今のこの命は間違いなく無かっただろう。それを考えると、(虐待をした)親が付けた名を捨てるのは親に対する裏切りだと因縁をつけ、名を変えるために費やした25年の努力をムダにしようと私の生活を壊しにかかってきたきょうだい達の恐ろしさは、筆舌に尽くし難い。
2025.03.31.記述
◆この時期に想う事
 
2025.**.**.記述

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