被虐待体験と自立への足跡・4.中学校

公開開始:2025.10.27.
内容更新:2025.10.28.

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●姉に対する虐待(1)
 母に向かって私の目の前で姉が「あんたは女として最低だ」と言い放った。母が台所で調理している時で、はっきり印象に残っている。でもそれは、父親が吹き込んで言わせたことに間違いない。父親が母を見下す態度を日頃から感じ取っていたからだ。姉が父親から刷り込まれていたことが出たのだろう。その言葉を娘の口から聞いて、母がどれだけ傷ついたことか想像に難くない。これは父親の、姉を通した母に対する虐待であるばかりでなく、姉に対する虐待でもあると私は思っている。姉の、人としての心の成長を踏みにじっている。
2025.10.27.記述
2025.10.28.修正
●姉に対する虐待(2)
 私が中学に上がった時、父親は私と母に向かって「一緒に風呂に入るよう」命令した。母に対しては「親として男の体を知らなければならない」と理屈をつけた。しかしそれは、父親が幼い頃から一緒に風呂に入ってきた姉(私が中学に上がると同時に高校に上がった)と入り続ける口実だと、当時の私も思った。当然母は嫌だったろうし、私もすごく嫌で、1~2回入らされた後母は私に「自分一人で入りなさい」と言ってくれ、そうなった。しかし父親は、母と離婚するまで(姉が高校卒業するまで)姉と一緒に入り続けた。(両親離婚後はどうしていたかは私は知らないが)明らかに姉に対する性的虐待である。姉は、とうとう結婚できなかったようだ。このような扱いを受けては当然だと思う。
2025.10.27.記述
●姉に対する虐待(3)
 姉は長い事、父親の寝室に寝かされていた。(ベッドは2つあったが。)母や私や他のきょうだい達は、隣りの別室に寝ていた。母が「(父親の寝室は)夜は中から鍵が掛かっていて入れない」とこぼしたことがある。風呂の事と言い、他の家族が見えないところで、一体何が行なわれていたのだろう。このような事があって、いいはずがない。
2025.10.27.記述
●遅刻常習犯
 私は、中学時代通して遅刻常習犯であった。それには理由がある。中3の時のクラスの遅刻の王者は、学校に一番近い奴だった。彼は当時放映中のテレビの朝ドラを最後まで見たくて、終わってから家を飛び出して来るのだが、一年の1/3は遅刻になった。私の場合は家を出る時父親の顔を見たくなかったので、学校に出る30分くらい前に当時飼っていた犬を散歩に連れ出し、父親が仕事に出掛けてから戻って来て学校へ向かった。そのために、遅刻番付が常に2位になった。今でも遅刻と父親の顔を天秤にかければ、遅刻を選ぶだろう。
2025.10.27.記述
●それは”迷信”か?
 父親は、自分と異なる考えに対してよく「屁理屈だ」と決めつけた。「変な宗教を信じてる」とも、よく言われた。
 ある時母が、「ミカンの皮はヘタの方からむくと綺麗にむけるよ」と教えてくれた。(母の生まれ在所は、ミカンの産地である。)それを父親に伝えたら、「そんな迷信を信じるな」と一蹴した。私は子供ながらに「それは”迷信”か?”生活の知恵”じゃないのか?信じるとか信じないとか、そういう問題じゃないだろ。」と思った。父親が、母をバカにしたいだけだと感じた。
2025.10.28.記述
◆この時期に想う事
 普通なら思春期である。人の心が一番育つ時期なはずである。この時期に異常な世界を過ごしたことで、人として備えなければいけない力を身に付けることができなかった。そしてそれを取り戻すのに、随分時間をかけることになった。それが私の運命だったのだろう。
 この時期まで、家庭の中で心が休まることはなかった。そして、母さえも父親の手下のように感じ、きょうだい達の監視の目をくぐって、人というものが信じられなくなっていった。自分の本心をひたすら隠し、隠していることも悟られぬよう用心するようになった。
 ただ、幸いだったことは、自分の中に人としての”ウソ”を見分ける目がついていたことだろう。自分の家庭の中で行なわれていることが、「どこか間違っている」と感じていたことは確かだった。(正直言って、それ以上の事は何も分からなかったのも事実だが。)そしてもう一つ、自分の中に”人懐っこさ”があったのではないかと思う。全く人を信じられなくなってしまったら、今の自分は考えられないからだ。自分からバレーボールの輪の中に飛び込んで行く行動を起こせたのも、そのお陰と言えるかもしれない。もちろん、母が陰ながら見守ってくれたことも大きな要因だが、それを感じられるようになるのは30年以上経ってからだった。
 ちなみに、私は小・中学時代の同窓会等には一度も行ったことはない。同級生達には申し訳ないが、私はあの時代の自分(人を人と思えない自分)に戻ることは、私自身が許さないからだ。連絡も一切していないから、同級生達は私がもうこの世に居ないと思っているだろう。私はそれで良いと思っている。
2025.10.27.記述

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